会社案内
清右衛門のこだわり
商品紹介
株式会社山岸産業 「信州油屋清右衛門」は、江戸末期、信州で農業の傍ら油屋を営んでいた初代 清右衛門に端を発します。
無類の蕎麦好きであった彼が、知人や客に振舞っていた「清右衛門さんのそば」は、その孫である秀之輔が商いを興した時、名前と技法を受け継ぎ「油屋清右衛門のそば」となりました。
現在では初代清右衛門から数えて六代目、大正13年に創業した清右衛門のブランドは間もなく百年に届こうとしております。
変わることのないおもてなしの心と、精進を続けるこだわりの味、そして安心安全の管理体制に、近年では新しいアプローチを加え油屋清右衛門は伝統の継承と新たなチャレンジを続けていきます。
当社は前述のように創業から百年に届こうかという会社です。設立からでも七十年を超え、老舗というカテゴリーに含まれるまでもう少しと言えるかもしれません。
ここまでご愛顧頂き、続いてきたことは有難く誇らしい事ではございますが、会社は存続だけを目標とするのではなく、発展や進化をして初めて「生き残っている」と言えるのだと信じ、就任後は今までにないジャンルの仕事に次々に着手して参りました。
おかげさまで最近は「変なことをやっている蕎麦屋」と言っていただくことも多く、これが「なんでもやってる蕎麦屋」になるよう日々邁進しております。
先代の社長から「山岸産業が『山岸製麺』や『山岸そば工場』でないのは、やりたいことが出来た時に、名前が邪魔をしないように」だと言われたことがあります。
確か私がゲーム会社の企画公募のコンペに応募した時の事だったと思います(残念ながら二次審査落ちでしたが)。
自分は、弊社は、何でもできる、何でもなれるのだと、その時から強く思いながら、それでも弊社がそば屋であることに誇りを持ちつつこれからも美味しい蕎麦と皆さんがあっと驚く何かをご提供し続けて行ければと思います。
株式会社山岸産業 「信州油屋清右衛門」は、江戸末期、信州で農業の傍ら油屋を営んでいた初代 清右衛門に端を発します。
無類の蕎麦好きであった彼が、知人や客に振舞っていた「清右衛門さんのそば」は、その孫である秀之輔が商いを興した時、名前と技法を受け継ぎ「油屋清右衛門のそば」となりました。
現在では初代清右衛門から数えて六代目、大正13年に創業した清右衛門のブランドは間もなく百年に届こうとしております。
変わることのないおもてなしの心と、精進を続けるこだわりの味、そして安心安全の管理体制に、近年では新しいアプローチを加え
油屋清右衛門は伝統の継承と新たなチャレンジを続けていきます。
当社は前述のように創業から百年に届こうかという会社です。設立からでも七十年を超え、老舗というカテゴリーに含まれるまでもう少しと言えるかもしれません。
ここまでご愛顧頂き、続いてきたことは有難く誇らしい事ではございますが、会社は存続だけを目標とするのではなく、発展や進化をして初めて「生き残っている」と言えるのだと信じ、就任後は今までにないジャンルの仕事に次々に着手して参りました。
おかげさまで最近は「変なことをやっている蕎麦屋」と言っていただくことも多く、これが「なんでもやってる蕎麦屋」になるよう日々邁進しております。
先代の社長から「山岸産業が『山岸製麺』や『山岸そば工場』でないのは、やりたいことが出来た時に、名前が邪魔をしないように」だと言われたことがあります。
確か私がゲーム会社の企画公募のコンペに応募した時の事だったと思います(残念ながら二次審査落ちでしたが)。
自分は、弊社は、何でもできる、何でもなれるのだと、その時から強く思いながら、それでも弊社がそば屋であることに誇りを持ちつつこれからも美味しい蕎麦と皆さんがあっと驚く何かをご提供し続けて行ければと思います。